春の道南、函館大沼公園。
 職場の同僚数人と2&4で遊びに行って、宿泊したロッジに到着したところ。
 この125ccで自動車と一緒のペースで走ったあとで、ちょっと疲れた姿です。(しゃがんでいるのが僕)
 同僚のTOYOTAスプリンタークーペが、時代を感じさせます。

 この頃は、国産の新車もドアミラーに変わっていましたが、中古車は依然としてフェンダーミラーが主流でした。
 上の写真で、荷物を積載したCBX125はたくましく見えませんか?
 僕は、旅の荷物を積載した単車に、「力」や「美」を感じます。
 僕の父方の祖父が新聞記者だったことはお話ししましたが、僕の母方のほうの祖父も新聞記者で、こちらは全国紙の記者でした。
 この母方の祖父は僕の成長のためにいろいろと幅広い書物を薦めてくれて、その一つに英国人旅行家の自転車世界一周の旅行記がありました。
 その旅行記の自転車の写真に、強い影響を受けているんですね。
 前も後ろも振り分けバッグを積んだその自転車は、活き活きとした素晴らしいモビリティでした。
 いまも半日程度のツーリングならば手ぶらでもいいところですが、やっぱり雨合羽や救急セットを積載してしまいます。
 積載状態が、好きなんですね。
kset02.gif
(2)静かに再スタートを切った、飛鳥での二輪生活
 次の二輪生活は、それから10年ものブランクを経た40代にスキップします。
 家族も増えて、奈良県生駒市での社宅に住んでいた頃です。

 ちょっとわき道にそれますが、嫁さんが僕と知り合ったとき、僕はすでに単車に乗っていました。
 つまり嫁さんの僕に対する見かたは、はじめから「この男は、単車に乗る男」だったそうです。
 そのせいか僕が単車に乗ることには、ある種のアキラメがあるようです。(キラメキではありません。)
 
 さて奈良に話を戻します。
 住み始めて飛鳥大和路を見ているうちに、ライダー(あるいはツーリスト?)としての血が騒ぎました。
 これが率直なところです。

 2台めの愛機も125ccでした。
 なぜなら住んでいた生駒市(奈良市の隣り)という場所は、一般道を30分も走れば法隆寺という環境。
 「自宅の近所でも充分楽しめそうなので、ここでも小型自二で充分だな」と納得して、125ccを購入しました。
 この判断は、のちに誤りと気づくのですが‥。
 さてCBXの教訓もあって、今回は凝っていない実用エンジンを搭載した車種を選んだところ、またもやクルーザー型のKawasaki/Eliminator (エリミネーター)125になりました。
 1997年に、生駒市の近所のスクーター店で購入。
 今回はヘルメットをサービスしてもらって、あとは関西ふう?に、一生懸命、価格を勉強してもらったことを記憶しています。