残念ながら、2009年10月にビューエルモーターサイクルカンパニー社は、生産・開発の終了というショッキングな幕引きを迎えます。
いわゆる“リーマンショック”で、Buellの親会社にあたるHARLEY-DAVIDSON社の行った業務整理の一環でした。
Buell社は1983年、米国Milwaukeeにおいて、天才技術者エリック・ビューエルによって創業。
創業あと、しばらくしてからHARLEY-DAVIDSON社の100%子会社となったものの、最盛期には従業員170名が活躍し、27年間で135,000台以上のモーターサイクルを世に送り出したそうです。
この時代に、一人の技術者が製品全てに関わった商品としては、驚異的な量産数です。
幸いHARLEY-DAVIDSON社は、このBuellについて製造年から10年間は部品保証を約束したので、その後も安心して乗り続けることができました。
そしてもうひとつ思い出深いことは、Buellがたたずまいに神経質なところがなく、どこまでもフレンドリーなことでした。
アメ車の持つ雰囲気とでもいいますか…
どうせおソトで使うモノじゃないか、という親しみ易さ。
例えて言えば、談話の輪から友人が「ちょっと買い物して戻るわ」と立ち上がったら 「俺のBuellに乗ってけよ」って、キーリングを放るような気軽さ、です。
そのためか、旅先でも見知らぬ人がよく声をかけてくれました。
僕が革ジャン革パン姿で、旅人と分かるいでたちであることも、あるでしょう…
そして愛機にはHARLEY-DAVIDSONのエンブレムを付け替えていたせいもあるでしょう…
それでも声をかけてくれる人のなんと多かったことよ!
これはたぶん、Amateurism(アマチュアリズム)あふれるフレンドリーなBuellなればこそです。
他の車種では、一般の方と、これほど会話は弾まない。
そんなきさくな美徳を備えていました。
2009年6月
信州・麦草峠にて。
車体の塗装や排気管の交換など
手を加えていって、統一感のある理想の姿になった。
2010年6月
信州・乗鞍スーパー林道にて。
8年と5ヶ月間このBuellに乗り、その間タイアも5本も消費しました。
そして2012年に乗り換えることになりました。
乗り換えた主因に、HARLEY-DAVIDSON社が部品の供給を保証した10年が過ぎたことが挙げられます。
整備技術がある人ならば何とかなってしまうものですが、あいにく僕はそこまでの技術を持ち合わせていません。
相手は機械ですから、割り切りも必要。
もうひとつ理由を挙げるとすれば、こう着しかかっていた Vehicle-life への抵抗といいますか…
Buellが、あまりにも自分にぴったりし過ぎていたというか…
これ以上年月を重ねて「Buell以外とはもう考えられない」状態に陥ることへの、“怖れ(おそれ)”があったことは否めません。
そろそろ違うモビリティにして、自分のスタイルも変えてみたい… そんな気持ちが強くなりました。
というわけで、好事家がまだ居るうちに、愛機にも第二の人生(そもそも中古車だったので、第三の人生?)を歩んでもらうことにしました。
冬のシーズンオフに入るのを契機に売却して、いったん単車から降りました。
Buellの買取価格は、「これだけ乗っちゃうとこんな価格しか出ないよなぁ」と、妙に納得するものでした。